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ファイティングスピリッツ

芸能界歴十年以上の元音楽プロデューサーが日々の真実を独特の視点で斜めに斬るブログ。


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象徴天皇は日本の伝統文化、元首天皇論はクソ


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昭和22(1947)年5月3日、連合国軍総司令部GHQ)起草による『日本国憲法』が施行されました。この新憲法では、
日本国憲法 抜粋(昭和21年11月3日公布・昭和22年5月3日施行)
  第1条 天皇の地位
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

と、旧憲法大日本帝國憲法)における主権者・天皇を、国家の象徴(シンボル) ―― いわゆる「象徴天皇」として定義しました。戦前(厳密には新憲法施行以前)の『大日本帝國憲法』(明治憲法)において、
大日本帝國憲法 抜粋(明治22年2月11日公布・明治23年11月29日施行)
  第1条 (国家統治権)
大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス
  第3条 (神聖不可侵)
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
  第4条 (国家元首
天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攪シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ

  第11条 (軍統帥権
天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス

と、天皇主権・元首天皇・軍最高司令官を謳(うた)っていた事からすると、180度の大転換と言えます。しかし、この「象徴天皇制」は、何も戦後完成した全く新しいシステムでは無かったのです。と言う訳で、今回は新しいようで、以外にも古いシステムである「象徴天皇制」について書いてみたいと思います。
象徴天皇制」は、全く新しいシステムでは無かった。つまり日本には、既にその「雛形」(ひながた)と言えるシステムがあったと言う事です。例えば比較的新しい所で、江戸時代。この時代は、初代・家康から15代・慶喜に至る歴代の徳川将軍が、国政を運営してきました。海外においても、「徳川将軍」は「Tycoon」(タイクーン日本国大君日本国王)、「徳川幕府」は「Tokugawa Shogunate」(ショーグネイト:「Shogunate」は「Government」に相当)と呼ばれていました。この様に、徳川将軍は日本の国王、幕府は日本の正統な政府として機能し、海外からもその様に認知されていた訳です。しかし、いくら将軍が「事実上の日本国王」であったとしても、名目上はあくまでも「天皇の臣下」であり、例え幕府が次期将軍を選定したとしても、京都の朝廷(つまりは天皇)によって「将軍宣下」(せんげ)を受けられなければ、正式な新将軍とはなれなかったのです。つまり、天皇は政治的権力を一切持っていなかったにも関わらず、その存在意義自体は否定されてはいなかった訳です。これはある意味、イギリス国王のスタイルである「君主はいれども統治せず」の、言わば日本版とも言えるシステムです。(下図)
天皇と将軍に見る日本型政治システム
天皇(朝廷)
政治的実権は一切無く「権威」としてのみ存在。格は将軍よりも上位


将軍(幕府)
政治的・軍事的実権は持っているが、身分はあくまでも「天皇の臣下」


諸大名(藩)
自らの封国である「藩」における封建領主。身分は「将軍の臣下」


この事を踏まえて、『日本国憲法』等の規定と、江戸時代のシステムを見比べてみると、以外にも似ている事に気が付きます。
日本国憲法』等の規定と江戸時代のシステム比較
項 目 『日本国憲法』等による規定 江戸時代
天皇の政治的権限 第4条 天皇の機能
天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する機能を有しない。

国政に関する権限は一切持っていなかった
天皇の任命権 第6条 天皇の任命権
天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。

天皇は、幕府の推挙上奏に基いて、「将軍宣下」をもって新将軍を承認した
行政最高責任者 天皇によって任命された内閣総理大臣 天皇によって承認された徳川将軍
行政府 内閣総理大臣を長とする政府 徳川将軍を長とする幕府
軍事統帥権 陸海空三自衛隊の最高司令官は、内閣総理大臣 「兵馬の権」は徳川将軍の専権事項
閣僚の任命権 第68条 国務大臣の任免・罷免
内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばなければならない。
  第2項
内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。

幕閣の任命・罷免の権限は、徳川将軍の専権事項

如何でしょうか? 時代背景や政治体制が異なっていたにも関わらず、その根幹は非常によく似たシステムだった訳です。そして、これは何も江戸時代に限った事では無いのです。それ以前の安土桃山時代織豊政権)・室町時代(足利幕府)・鎌倉時代鎌倉幕府)についてみても、いずれも、天皇には政治的実権が無く、「天皇の臣下」が国政を運営していたのです。(例外は、後醍醐天皇に代表される南北朝時代南朝) さて、次に視点を一般庶民に転じてみましょう。
上様(うえさま)。江戸時代、一般庶民は徳川将軍の事をこう呼びました。この他にも、「公方(くぼう)様」・「将軍様」や、「お上」(おかみ)と言った呼び方もされました。しかし、それとは反対に一般庶民から、「天皇陛下」とか、「天子様」と言った言葉はとんと出ませんでした。これは、一般庶民にとっては、京都の天皇よりも、江戸の徳川将軍の方が、より近い存在だったと言う事なのです。まあ、将軍=幕府が取る諸政策が、一般庶民の実生活に深く反映した事から、当然と言えば至極当然な訳で、一般庶民にとって「天皇」とは、京都の御所の奥深くに住む、文字通り「雲の上の人」(雲上人)だった訳です。「雲上人」 ―― つまり、天皇とは一般庶民からすれば、政治的実権は無く自分達には直接関係無いが、「日本」と言う国家を統合する上での最高権威者 ―― 言わば「象徴」として機能していた訳です。そう考えると、戦後、新たに「導入」されたとされる「象徴天皇制」は、以外にも先例があり、日本の国情に実にマッチしたシステムだったとは言えないでしょうか? そして、政治的実権が一切無く、単に「最高権威者」としてのみ存在して来たからこそ、権力者が次々と交代する中(・・・織田氏豊臣氏徳川氏・・・)、連綿と皇位が継承された。

 

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