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ファイティングスピリッツ

芸能界歴十年以上の元音楽プロデューサーが日々の真実を独特の視点で斜めに斬るブログ。


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忘れられた韓国人・台湾人の皇軍兵士


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ある韓国人の老人が死ぬ前に再会したいと語った人、それは戦時中、同じ釜の飯を食べ、苦楽を共にした旧日本軍の日本人戦友達だと言います。又、台北市内の路地裏の食堂に、台湾人の老人達が三々五々集まっては、互いに「日本語」で自分達の思い出話を熱く語り合う共言います。かつて、皇軍兵士(日本軍人)として大東亜戦争を共に戦った彼ら ── 韓国人・台湾人軍人達は、戦後、『サンフランシスコ平和条約』によって、日本が朝鮮半島・台湾の領有権を放棄した瞬間、「日本国籍」を喪失しました。あれ(終戦)から半世紀。「皇軍兵士」として日本人と共に戦った韓国人・台湾人軍人達の「終戦」はいまだ「決着」を見ていません。と言う訳で、今回は、彼ら韓国人・台湾人軍人達にとって未解決なままの「終戦」問題にスポットを当ててみたいと思います。
戦傷病者戦没者遺族等援護法』(以下、『援護法』と略)。これは、昭和27(1952)年4月30日に施行された法律で、旧軍人軍属 ── かつて皇軍兵士だった人や軍属として徴用されていた人で、戦闘中の怪我(けが)や病気の後遺症に苦しんでいる人や、戦死した皇軍兵士の遺族等に対して、障害年金・遺族年金を給付し、生活を支援する目的で制定されたものです。又、昭和28(1953)年8月1日施行の『恩給法改正法』(改正恩給法)によって、旧軍人軍属やこれらの遺族に対する恩給(軍人恩給)の支給も復活しました。これら『援護法』・『改正恩給法』等によって、「お国(日本)のため」に、「天皇の軍隊」 ── 皇軍兵士として戦地に赴(おもむ)いた人達の「戦後補償」が、国家の義務として正式になされた訳です。
さて、旧軍人軍属・遺族等に対する障害年金・遺族年金・軍人恩給等の「戦後補償」ですが、これらは、あくまでも「日本国籍」を有する者に対してのみなされている措置で、終戦に伴い「日本国籍」を失った韓国人・台湾人軍人軍属はその対象となっていないのです。ちなみに戦争中、軍人軍属だった韓国人・台湾人の数は、韓国人が38万人、台湾人が21万人(共に推定)と言われています。(下表)
大東亜戦争における韓国・台湾軍人軍属の数
韓国人 軍人 23万人 台湾人 軍人 8万人
軍属・軍夫 15万人 軍属・軍夫 13万人
計 38万人 計 21万人
彼ら韓国人・台湾人軍人軍属は、自らの意志で志願した者もいましたが、内地(日本本土)同様に、徴兵・徴用された者もいました。そして、彼らは日本人の軍人軍属と等しく戦争を共に戦った訳で、冒頭に書いた旧軍人の韓国老人の話は、それを如実に物語っているのです。そんな彼ら ── 韓国人・台湾人軍人軍属は終戦によって、自らの意志とは何ら関係無い形で「日本国籍」を失い、日本人の軍人軍属やその遺族が当然の様に受けている「戦後補償」を受けられずにいる訳です。
以前私は、英霊 ── 「お国のため」に戦地へと赴き、そして戦没した将兵を祀(まつ)る靖国神社への首相以下閣僚の公式参拝は、国民の代表として国家を預かる者としての「責務」だと書きました。(『35.公人か? 私人か? 靖国神社閣僚公式参拝考』参照) そうあってこそ、はじめて「戦場の露」として散っていった英霊の鎮魂が出来るのだと。しかし、かたや旧「日本国民」で、皇軍兵士として日本人将兵と苦楽を共にした韓国人・台湾人軍人軍属に対する「戦後補償」は、いまだになされていないのです。私は、「お国のため」・「大東亜共栄圏実現」を胸に、日本人将兵と共に戦った韓国人・台湾人軍人軍属に対する「戦後補償」も、日本人軍人軍属に対するのと同様、日本政府が真剣に取り組むべき「責務」だと思っています。そして、それなくして、韓国人・台湾人軍人軍属達にとっての「あの夏」 ── 昭和20(1945)年8月15日(終戦の日)に、決して終わりが来ないのではないでしょうか? (了)

 

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