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ファイティングスピリッツ

芸能界歴十年以上の元音楽プロデューサーが日々の真実を独特の視点で斜めに斬るブログ。


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「日本=島国論はイデオロギー」~海の役割は隔てたのではなく交流、融和させた


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縄文人の最大の特徴は漁労民である。狩猟、採集もしたが他の地域と比べて圧倒的に多かったのは漁労の民である。彼らは漁労をしながら狩猟も採集もした。
縄文時代の豊かさの最大のポイントは海の幸を得ていた事にある。彼らが日本列島一千キロを贈与、交易で繋ぎ、既に縄文晩期には東西共通の言語(いわゆる日本語)が登場していたという事実がある。そう考えると日本人は外来、海洋民であり、海を媒介にして自在に遠距離を交易、交流していた非常にアクティブな民族であるという事が言える。

網野善彦氏の著書の中に島国論について書かれた内容があったので要約紹介したい。

「「島国論」はイデオロギー
島国論は現代日本人の圧倒的多数の常識である。実際日本は島で成り立っている事は事実だが、それに基づいてものを言おうとする立場、方法、論を展開しようとするやり方には、2つの文脈がある。一つは島国根性にも表れるが、日本人の独善性、閉鎖性を近代化に向けて消極面で捉えようとする見方。もう一つは島国であることによって日本文化の独自性や均質性が生まれてきたという文脈。後者の方が最近は強く言われている。
しかしこの島国論は極端に言うとある種の俗説でしかない。事実、朝鮮半島を植民地化していた戦前の日本は島国ではなかったし、大陸と日本を隔てる海にしても「人と人を結びつける海」「人と人を隔てる海」と都合によって使い分けている。波荒い玄界灘でも九州と対馬は結びつける海、同じくらいの距離である対馬朝鮮半島は隔てる海になっている。
島国論とは現在の国境に規定されて過去に振り返って作られていると言わざるを得ない。
事実は海は人と人を結びつける役割を果たし、日本の歴史と社会のなかで非常に大きな意義を果たしてきたという事を最初から切り落としたところに成り立っている。
縄文文化とは日本列島のなかで完結しているというのがいままでのある種の常識であったが、渡辺誠氏は「縄文時代前期から西九州から朝鮮半島の東南を含む漁労民の共通した文化があった」と指摘している。弥生時代前期にかけては山陰や瀬戸内にその文化が拡大した。稲作もそういった漁労民の活動の上にのって日本列島に渡ってきた。しかも朝鮮半島と共通する文化は東日本の漁労文化とかなり異質で相互に拒否的であるという事も指摘している。そういう意味で渡辺氏は島国で形成された縄文文化の上に現在の日本文化が形成されたという考えを持っている。旧来の縄文文化の見方そのものも揺るがすものだと思う。

さらにさまざまな史実は日本列島と周辺地域の交流があった事を示している。
それは国家レベル、国家間では理解しがたいが、庶民の人々に焦点を当てれば様々な交流が古来から江戸時代にかけて継続してあった事実が出てくる。
現在でも密入国、密出国があるのに古代の海上自衛隊保安庁もない時代に人と人との動きがなかったと考える方がむしろ非常識である。9世紀以降には次々とそれを示す史実が出てくるし、平清盛の時代に入ると唐船を操り、大陸と日本を頻繁に行き来していた。
さらにその唐船は中国で作ったものではなく日本で中国の技術者を招いて作られた可能性が出てきている。また、若狭や出雲の領主たちは室町時代には朝鮮半島と密接に繋がり交易を続けていた。内陸にあった信濃善光寺であつても朝鮮国王に遣いを送っている。


「日本の本質は閉鎖的な島国ではない」という網野さんの論に従えば、日本人の本質は周辺地域と繋がり、融和していく民であると言える。事実、国家という網に左右されていなかった沖縄は16世紀の時代にあって中国から東南アジア、日本と交易を通じて有機的につながり、それら周りの文化を取り入れた集合体を形成していた。
20世紀、21世紀に登場した欧米型の搾取する市場グローバリズムの負が強調され、国際社会の場がアメリカトランプ発で縮小していく予兆が出てきているが、今更国際関係を切り離して自国に埋没する事に可能性はない。
改めて市場型ではないグローバリズム、いわば日本型交流外交が台頭する時代が必要になってくるように思う。海を境界ではなく繋がりと見ることができれば、諸外国の対立や緊張を超えて繋がることのできる基盤が日本発で作り出して行く事ができるのではないか?
ただそれは国家主導ではなく民間人や企業が中心になるだろう。