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ファイティングスピリッツ

芸能界歴十年以上の元音楽プロデューサーが日々の真実を独特の視点で斜めに斬るブログ。


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飢饉(食糧危機)対策としての脱市場原理と共同体の構築


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江戸時代の飢饉対策を調べてみたのですが、幕府や藩は備蓄米や救荒作物の生産の奨励など様々な対策を施しています。しかし、結果的には数万規模の餓死者を出しており、その対策を批判する論調も多いです。

 例えば、飢饉のときに武士が餓死したという話はほとんど聞きませんが、餓死しているのは農民です。自給自足で共同体の成員がなぜ餓死するのか。
これは、年貢として納めた米が江戸や大阪へ輸送されて現金に替えられて、という風に富めるものに集中するという市場原理の問題とも言えます。
つまり、極端に言えば、自給率100%であっても飢饉というのは人災として起こるということです。
実際、天明の大飢饉では東北地方で多くの餓死者を出しましたが、西のほうでは餓死者は出ていない。幕府の対応の問題、政治の問題だとする論調もあります。

すると、少なくとも近代以降の飢饉の本質問題は「作物の不足」というよりも作物はあるが「食べ物が行き渡らない人がいる」という問題になります。

東日本大震災でも、避難民に食糧物資が届かないとか、都内のコンビニから食べ物が売り切れて消えるという状況がありました。これは震災ではなく明らかに人災です。
根無し草の個人と化した都会の人々が個人を守るために必然的にそうなる構造にあるのかもしれません。
そう考えると、仮に経済危機から輸入ストップ、放射能や自然災害などのために食糧自給の必要に迫られたときに政府がいかに事前に対策を施そうとしても、従前に機能するかどうか微妙です。

事前にできる対応策としての本質は市場社会によってばらばらな個人となってしまったことや、無能な政策しか出せない政府、官僚に頼らずに何ができるかというところに行き着くのではないでしょうか。

 

 

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