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ファイティングスピリッツ

芸能界歴十年以上の元音楽プロデューサーが日々の真実を独特の視点で斜めに斬るブログ。


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【中国】春秋戦国時代~商工業の発達と商人の台頭


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周王室の勢力が衰えると、それまでの封建制度が崩れ、各諸侯間の闘争圧力が高まり、諸侯は自身の支配域で「富国強兵」に収束していく。

■鉄製農具の使用と牛耕の出現→農業生産力の向上
農業生産力の向上は、農具の改良と農耕技術の発達によって実現された。これによって、深耕が可能になり、耕種面積が拡大していった。また、この時代から施肥が始まり、灌漑事業が盛んに行われ、いっそう農業生産力の向上していった。それにより、耕地は従来の山麓の湧水地帯や氾濫の恐れのない河岸の低地から、広大な黄土平原に拡大していった。

■家父長的小農民の形成(=氏族共同体の解体)
西周時代には氏族共同体によって農業は営まれていた。それは、共同体の農業でなければその成員を維持する収穫物を得られることができなかったためだった。

しかし、春秋時代になると、鉄製農具の使用と牛耕の出現により、個々の家族や数戸の家族での農耕で十分な収穫物を得ることができるようになり、それまでの共同体単位の農業ではなく、家族の長が主導となる家父長的小農民が形成されていった。また、それまでの氏族共同体の規制を受けない、灌漑事業により新たに開発された農耕地の出現により、共同体の解体をいっそう加速した。

一方、農業生産力の向上は、均一に実現したものではなく、地域や集団規模等によって格差が生じ、土地の喪失と集中が起こり、土地喪失者は大土地所有者や商工業者の隷属下に入ることにった。

■商工業の発達
このような氏族共同体の解体は、商工業の発達を促した。西周時代までは、商工業は官に属し、それを専門とする氏族が世襲的におこなわれていたが、氏族共同体が解体とともに、個人や少数の家族で商工業を行うようになった。

とりわけ、
農業生産を決定する鉄器を生産販売する「楚」「呉」「蜀」の治金業者、
生活必需品の塩の生産販売に従事する「斉」「魯」「周」の製塩業者、
は多くの貧農を使役して大規模に行われた。

■商人の台頭
これとともに従来の政治都市としての国邑も、商工業の中心地として経済都市へと変貌していった。この都市を中心に商人の活躍も目覚しく、都市の市場で商業に従事するだけでなく、各諸国の都市間を結ぶ広域な商業圏を形成していった。広域商業圏の成立により、それを取り仕切る大商人が現れ、やがて地域の有力者と成っていく。

■商人の力で立てられた王
戦国時代の終わりのころ、「秦」の荘襄王始皇帝の父)の即位に尽力した大商人の呂不韋は、荘襄王の太子の政(後の始皇帝)が王位を継承した時、行政における最高官職にあたる相国となり権勢を振るにまで至っている。そして、「秦」は交易市場を国家のきびしい管理のもとに置くとともに、民間の商人の活動を厳しく抑制し、国家による市場の独占を図ることになる。

このように諸侯が割拠し覇権を争った時代、商工業の発達により力を蓄えた商人は、ついに市場を国家が統治する「市場国家」の形成に大きな影響力を及ぼすまで至った。

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